悦子さんぶろぐ ~blog.11

昨年11月岩尾城址のある蛇山を登りながら、なぜこの山を蛇山というんだろう?と湧いてきた疑問。蛇山の麓の和田小学校を卒業した夫に尋ねても「蛇が沢山いたんかなあ」とたよりない。そこでふるさと和田振興会の友人に問い合わせ、古文書を抜粋し現代語訳したA4のコピーを1枚貰ってくれた。
それによると、信州から入封の和田日向守斉頼が1516年に山の峰に城を築いた。その頃、信州から召し連れてきた家来で岩尾吉助という者の女房が、夜ごと城山へ入って行くのを不寝番の者たちが見ていた。女房が夜間出かけていることを彼らから教えられた吉助は、ある夜そっと女房の様子をうかがった。女房は戸を閉め、屏風を立てた中で、盥に夥しい数の蛇の子を産んでいた。それを見つけた吉助は恐れをなして、黙ってこっそり信州へ帰ってしまった。すると、鬼女と化した女房があとを慕って追いかけ、終には吉助を喰ってしまった。恐ろしいことだ。それ以来、城を蛇山岩尾城というようになった。
以上のことが書かれていた。民話の山姥のような話だな。それにしても、この話の出典は何なのか。夫の友人に尋ねると「さあ、僕は詳しくないんです。山内順子先生ならよくご存知やと思います。」と、丹波市在住の地域史研究家山内先生を教えてもらった。
その後、山内先生にお出会いした時に尋ねると、「ああ、蛇山ですね。何だか気味の悪い伝承でしょ?でもね、蛇って信仰の対象になってる生き物なんです。民俗学の吉野裕子さんが言われてます。蛇は足が無いのにスムーズに移動する、脱皮をして再生する、毒をもって人を倒すことのできる種もある。沢山の子を産み子孫繁栄の象徴でもある。それらは古代の人達にとって切実な願い、充分に信仰の対象になる存在だったんですよ。蛇山伝承があるっていうことは、この山南町和田の地域には蛇に寄せる敬虔な信仰心があったということです。例えば奈良の三輪山もそうなんですよ。山がご神体、麓の神社には蛇が祀られてます。」等、説明してくださった。和田の少し東の応地部落に「蛇ない」という藁で編んだ大蛇をもって練り歩く新年の行事があるけれど、それも蛇信仰と関係があるのかと尋ねると、「ああ、あるかもしれません。この辺り一帯になお蛇信仰が残っているってすごいなと思うんですよ」と話され、先生の論考が掲載されている氷上郷土史研究会誌を分けてくださった。
吉助の女房は子孫繁栄の象徴として言い伝えられてきたのかも。でも、夫を喰ってしまったことはどうなんやろか?蛇信仰には犠牲が必ずついているって言われてたし…とか考えながらも、蛇山岩尾城の由来がわかった私は、機会があればもう一度登ろうかと思っている。脚を鍛えなくちゃね。
