2024年04月03日

畦道さんぽ blog.1

 家を出て、西へ200歩くらいで「鹿の匠 丹波」EGサイクルの工場。そこを過ぎて佐治川めざしてさらに西へ500歩ほど畦道を行く。川につきあたれば今度は川土手道を南へ。土手道が小山につきあたると同じ道を引き返す。往復で5000歩ほどをラブラドールのマメ(♂)と散歩するのが仕事前の日課だった。

この5000歩の間に実に色々な生き物に会った。野鳥や水鳥、鹿、猪、鼬、亀、たまに人間。若かった頃のマメはそのどれとも友達になりたかったのか、とにかく追いかけた。目の前をからかうようにちょんちょんとスキップするカラスを追っていて、ひょいと飛び立たれたときの情けない顔、雪の降る川に鴨を見つけて飛び込んだり、川原の茂みに潜んでいた猪に気づいて嬉し気に走り寄り、牙でお腹を刺されて大けがをしたり。力の強いマメを制しきれないことがよくあった。

いつまでもやんちゃ坊主と思っていたが7歳を過ぎる頃からは私に合わせてくれるようになり、1人と1匹で歩きながら農村の四季を全身で感じていた。

去年2月、思わぬ怪我がもとでマメは13歳9か月で旅立った。マメの身体のなかで起きていることに気づいてやれなかった。ただ申し訳なかった。

以来、畦道散歩をする気が失せて工場より西へは行かなくなった。途端に四季が遠のいた。

高齢の私は歩く筋力も落ちてきた。これではあかんと思い直して、1年経った今年の2月散歩道を歩いてみた。すると、梅が咲いて鶯の声は聞こえるし、川鵜も泳いでいる。ナズナ、ホトケノザ、オオイヌノフグリも咲きはじめている。マメを連れているように時々名前を呼んで歩いた。

あの枝に止まれる鳥が鶯か        
鳴いてゐるなりうぐひすの声で

[ 自己紹介] 

前川悦子(えつこさんとよばれています)
大学の4年間とその後就職した3年間以外は丹波暮らし。夫の前川は地元柏原高校のクラスメート。
前川はまもなく還暦という時、捕獲された野生鹿の有効活用に取り組みはじめた。

丹波市産業経済部長だった柳川瀬さんに協力を請われての行動。
18年前の当時は北海道のエゾシカ以外、ビジネスとして鹿専門の事業形態はなかったので、暗中模索のなか、早期退職した柳川瀬さんが精肉、前川はドッグフードと分担して奮闘。
鹿のこともドッグフードのこともよくわからないまま走り出した。

有能な「ペット栄養管理士」の小野池さんや獣医師と出会い、貴重なアドバイスによって形になってきたことはほんとうにうれしい。そしてEGサイクルの製造法を信頼して長年愛用くださっているお客様には心からの感謝を。また、決してきれいとは言えない作業や地道な日々のルーティンを黙々とこなしてくれているスタッフにも。

私も夢中で伴走した年月だった。この間、鹿の命、犬の食べ物、自然、環境など様々な気づきや問題に直面した。何とか乗り越えられたもの、いまだに課題として目の前にあり続けるものなど様々にあるが、後期高齢者になったのを機に仕事はもう後継者に委ねるべきと思う。

そして、一息ついて住み馴れた丹波を味わい、感じてみたい。そんなブログが書けたらうれしい。学生の頃に出会った短歌をちょっと入れたりしながら。どうぞおつきあいください。