2026年02月20日

「岩尾城と蛇山」

悦子さんぶろぐ ~blog.10を更新しました。

EGサイクルの工場から西北へ車で10分足らずの和田小学校裏手の蛇山(標高358m)に岩尾城址がある。どんな城かというと

* 信州和田から入封の和田日向守が山頂に城郭を築く。(1516年)

* 明智光秀の丹波攻めによって落城。(1579年)

* 江州木戸から来住の佐野下総守によって修復。(1586年)

* 豊臣秀吉の命によって廃城、破却。(1596年)

築城から廃城までわずか80年。戦国乱世の丹波の山城は、岩尾城も春日の黒井城も篠山の八上城もみな明智光秀の丹波攻めで落城。その後、前後して廃城となっている。

昨年の秋、丹波自然友の会での岩尾城址登山に参加。ほんの近くに貴重な歴史遺産がありながら訪ねていないので、良い機会だった。銀杏の輝く黄葉、イロハモミジの紅葉。快晴で絶好の登山日和を楽しんだ。頂上に近づくにつれ山城の遺構標識が目立つ。土塁、掘井戸、曲輪、二の丸、西の丸、石垣。登山道は地元のふるさと和田振興会によって整備され、登山に自信のない高齢の私でもストックを頼りになんとか登れた。足元には瓦のかけらが結構落ちている。リーダーの話では、破却された時の屋根瓦ということだ。400年余りをこの蛇山のあちこちに散らばったままなのだ。それにしても、築城には資材や道具、食料等々すべて人力で358mの頂上まで持ち運ばねばならない。水筒とお弁当をちょこっと入れたリュックを重い重いと感じながら登っている21世紀の軟弱ばあさんでは話にならない。昔の人の体力には恐れ入る。頂上の天守台一帯には苔むした石垣がかなり残っていた。市内の山城の中では岩尾城が一番よく石垣が残っているということだ。これらの石はどこから運んだのだろうか。

そんなこんなを考えながら登る。そして、この山を蛇山っていうのはなぜなんだろう?という疑問が湧いてきた。同行の会員達に尋ねてみるが皆さあ?という感じ。蛇山だなんてちょっと気味の悪い名称。誰がいつつけたのかな?という疑問は後日少しずつ分かってきて、すっかり判明したのは年が明けて1月15日、山内順子先生の郷土の講座を受講したときだった。

今年NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」はちょうど岩尾城興亡の時代。日曜夜8時にはテレビの前に座っている私。

蛇山の話題はブログ続編で紹介予定です。